建築家・谷尻誠(SUPPOSE DESIGN OFFICE)氏を語る上で、この言葉ほど彼の本質を表すものはない。2000年の事務所設立以来、住宅から商業空間、さらには不動産や飲食業まで、従来の建築家の枠を軽々と超えて活動してきた。足りないものや社会への違和感を出発点に、既存の常識にとらわれず、自ら必要なものをかたちにしていく。その根底には、建築家であると同時に起業家としての視点がある。
「お金って、なんか面倒だなと思ってて。建物が働いてくれれば、自分の人生はもっと楽しいことに時間コミットできる」
今回、麻布に完成した収益型マイホーム「麻布の家」について話を聞いた。従来の価値観を覆すようなアプローチで計画されたこの建物には、谷尻さんの建築家という仕事における哲学が凝縮されている。
賃貸部分と自宅を共存させながら、建築としての完成度も追求する。経済性と作品性という、時に相反する価値をいかに両立するか——「麻布の家」のプロジェクトは、そんな問いからスタートした。
施主は、以前にオフィス設計を依頼したことのある谷尻さんの知人。谷尻さんの自邸を見学し、住みながら収益を生む「収益型マイホーム」の構想に共感したという。
建物の構成はシンプルだ。1・2階を賃貸テナント、3・4階を自宅とし、外階段で動線を分けることで、それぞれが独立して使える設計に。1・2階の賃料収入でローン返済をカバーできるため、借入額が増えても、施主自身の月々の負担は抑えられる。
「お金を借りて消費するだけだと浪費になってしまうけれど、お金が回ってくる仕組みを作れるなら、それは資産になる。経営者の方の資産形成を支援するという観点で、お金の面をケアしつつ、建築家として空間の良さもきちんと担保する。その両方をバランスさせながら作るというアプローチでした」
デザインや工事費だけに提案を留まらせず、経済合理性や社会の課題にも応える必要がある——。そう考える谷尻さんは、自らビジネスや経済の知識を学び、実践してきた。その結果、建築の枠を超えて提案できる建築家として、クライアントからの信頼を集めている。
麻布の家で印象的なのは、その独特な空間性だ。RC(鉄筋コンクリート)の重厚な質感に、計算された陰影が折り重なる室内。その思想は、「明るく、軽やかで、透明性の高い」現代建築の主流とは少し異なる。
「『暗さを設計する』ってよく言うんですけど、明るさを追い求めるだけじゃなくて、あえて影を取り入れる。暗さって、実は内省的な時間に向いていたり、集中力を高めてくれたりするんですよね。だから、作業に必要な明るさと、静かで落ち着いた空間性の両立を考えると、暗がりってすごく意味があると思うんです」
陰影へのこだわりは、細部にまで宿る。たとえばコンクリートの表面は、あえて粗く削りテクスチャーを強調。そこに光が差すことで、陰影の深みが際立つ。さらに、建築法の道路斜線制限も、階段状の構成に変換することで、空間の中に自然な光と影のグラデーションが生まれるよう工夫されている。
閉じた構成でありながら、天井が高く、窓からのぞく植栽が、外の自然とのつながりを感じさせてくれる。
「開放性って、開口部の大きさだけで決まるものじゃない。閉じているけれど開いている、そんな空間を目指しています」
「外のような中」「プライベートとパブリックの間」「建築と家具の間」「明るさと暗さの間」——空間における“あいだ”の魅力に注目する谷尻さんは、異なる要素の共存や重なり合いを建築の魅力と捉えている。
その思想は、過去に手掛けてきたプロジェクトにも色濃く表れている。今回の取材場所となった「社食堂」は、SUPPOSE DESIGN OFFICE東京事務所のオフィスでありながら、レストランでもある空間だ。働く場と食べる場が同居するこの場所には、人の行き来や用途の重なりを受け入れる柔らかさがある。
こうした視点は、選ぶプロダクトにも通じている。麻布の家で採用された、モノクロームの屋根一体型太陽光パネル「Roof-1」もその一例だ。
「太陽光って、これまで“あとから載せるもの”だった。でもRoof-1は、屋根でありながら太陽光でもある。これは今の時代にすごく合っていると思うんです」
谷尻さんがたびたび使う「同居の時代」という表現。携帯電話が財布やカメラ、パソコンと一体化したように、あらゆる要素が境界を越えて混ざり合っていく。それは建築においても同じで、単機能ではなく、複数の意味や役割を併せ持つ存在へと変わっていくべきだという考え方だ。
「屋根を買ったら太陽光がついてくる。別々に考えるんじゃなくて、一体化している方が自然だと思う。これはまさに“同居”するプロダクトだなと思いました」
麻布の家では、断熱性能の強化も谷尻さんからの提案だった。
「東京ってとても暑いから、最初の段階で断熱性能をしっかりと上げて、エネルギー負荷を抑えることを提案しました」
とはいえ、谷尻さんにとって「環境」とは、単に省エネやエコロジーの話ではない。空気や音といった目に見えないものまで含めて、空間全体の「快適性」をどうつくるか、という問いなのだ。
「エコやサステナブルといった言葉が先に立ちがちだけど、大事なのは“その場をどう心地よくするか”。どういう空気を、どういう音を設計するか。そういった“かたちのないもの”をどう従えるかも、建築の役割だと思っています」
千葉に建てた自らの別荘では、水や照明、エアコンなど「どこまで削れるか」を起点に設計をスタート。断熱性能を北海道レベルにまで高め、最終的にエアコンなしで過ごせる住環境を実現した。
「快適ってなんだろうと考えたとき、全部が機械で制御された環境では、人は自然の気持ちよさを忘れてしまうと思うんです。たとえば暑い日に窓を開けると風が通って、木陰に入ったときのそよ風の心地よさを知る。でも、もしエアコンで常に最適な温度に保たれていたら、そもそも窓を開けることすらなくなってしまう。そうすると、自然の中にいるのに都市と同じ環境で過ごす意味ってどこにあるんだろう、って。」
夏はプールで体を冷やし、冬は薪ストーブで温まる。そうした自然とのやりとりを、自身の子どもと共に感じられる場所になっているという。
「設計って、無意識のうちに“普通”や“当たり前”に乗っかってしまいがちなんです。部屋があればエアコンを付ける、というのがその典型。でも本当に必要なのか?って、一度立ち止まって考えることこそ、僕らに求められていることなんじゃないかと思います」
便利さを追い求める現代にあって、谷尻さんが一貫して大切にしているのが、「考える力を失わないこと」だ。
「便利って、考えなくても物事が進む状態のこと。だから便利すぎると、人は工夫したり、自分なりの答えを出したりする力を失ってしまう」
与えられた選択肢をなぞるだけでなく、自ら問いを立て、かたちにする。子どもの頃に田舎で過ごしたような、不便だからこそ生まれる工夫と発明が、創造性の原点になる。
AIやテクノロジーが当たり前の時代、使いこなす主体が「考える力」を持っているかどうかで、創造の質は大きく変わる。検索して答えを得るのではなく、自分の思考から“検索されるような答え”を生み出す。谷尻さんが目指すのは、そんな創造の循環だ。
空間の美しさをデザインする前に、その空間でどう過ごしたいのか、何を実現したいのか。その「あり方」から考えること——麻布の家にも、その思想がしっかりと息づいている。
「僕らが考えるべきなのは、建築というフレームの“中”だけじゃなくて、その“外側”にある問いなんだと思うんです。社会の課題や経済的な合理性といった前提があって、そのうえで“どういう空間が必要か”を考える。まず“どうあるべきか”を捉え直すことが、新しい建築をつくるための出発点になるんじゃないかと思っています」